WASHI WORKS 深沢修 和紙造形の世界
コンテンポラリーアート
PAPER WORKS A Thoght on Mimesis Series
擬態考
Mimicry 水映論 境界論 作家プロフィール


〈平面〉では現前は偽装される
 我々の眼の働きは、生の過程で絶えず自己の内と外との相互作用をもち、記号を形成しては、再び迷宮へ回帰し記号を解体ー再生することによって、自己を更新し続けるのである。おそらく人間も他の生物と同じように未分化だったものが、社会という制度をつくることによって、疑似環境の中で生物とは違った聖-俗、文化-自然といった二項をつくりあげてきたのだろう。だから何らかのかたちで自然体である生を活性化し、自己を更新する装置が必要だったはずだ。それは書く、描く、読む、見るの行為の内にもあったはずである。したがって生物の擬態がフィールドで展開され、大地なる〈平面〉を根元的母体にしているように、我々のそれは、描き、書く行為が〈平面〉への欲動となってあらわれるのである。
 絵画の〈平面〉は、記号の土台である物質的媒介(基底材)によって実現される。しかし、我々が絵画に眼を向けることは、それが物理的な表面としての意味をなさない。我々は絵画としてのつくられた〈平面〉を見ているのであり、絵画は我々の視覚が表面の絵の具の層の物質性を乗り越えることによって〈平面〉となりえるのである。だから〈平面〉では現前は常に偽装され、それらしく見えることによって我々の眼を欺いているのではないか。記号が形成されては解体され、秩序の生成と解体の往復運動が行われている両義的な場、それがテクストとしての〈平面〉だ。  私(我々)が求める〈平面〉とは、意味や象徴の生産でも、形相の生産でもない。両義的な場におけるシニフェイの解体、シニフィアンの浮上といった差異の戯れの中に身を浸すことである。そして、視るものの秩序を解体し、再生し、迷宮に引き入れることによって、視るものの生の再創造という生命のダイナミズムにたちあわすこと、それが擬態考の概念である。(論考・擬態考より)


Mimicry
擬態考「水のMimcry」 擬態考「水のミミクリー」
擬態考「森のミメーシス」
H200.W270.D100(紙、檜の樹皮、麻など)
擬態考「水のMimcry」
H172.W172.D15(竹の紙、檜の樹皮、麻など)
擬態考のミメーシス
 深沢は長いこと絵画における平面の問題に取り組んでおり、この過程から発想されたものが、平面そのものを自ら創り出す、ということに結果した。描出による視覚の問題はカンヴァス対象視する基底的条件へと分け入ったうえで検証されるべきものになったのである  ところが、その検証材料が植物とその変貌のスタイルである和紙であったためか、深沢はそこに奇妙な生命のリズムを感じるようになる。あるいは自然との関係における生命の節理といったものであろうか。植物とその変貌のスタイルである和紙は、植物の〈擬態〉としての和紙であり、面を知覚化させるために埋め込まれた線分や線状は動物学でいう身を隠すための条件やイメージである“ミメーシス”へと発展し、からめ手で芸術の根幹的な問題を抵触しだす。(たにあらた・評論家)

水映論

擬態考〈山水〉 擬態考「水のストローク」
擬態考「山水」H270.W270.(紙、麻、墨) 擬態考「水のストローグ」H300.W270.(紙、麻など)
衰弱体の美学
 深沢の一連の作品群は「擬態考」と名付けられている。擬態とは生物が自己の身体を環境に合わせて変容させることだ。それは外的から身を守る行為であるだけではない。むしろ擬態は人間にも当てはまるような、「生きる」ということに由来する現象なのだ。生きることは環境に半ば同化しつつ、なお自己の同一性を維持することである。それは存在と無のはざまに生じるせっぱつまった出来事だ。擬態とはそのような生の本来の姿だとするなら、それは存在と無の形而上学のかなたにある概念だ。擬態とは存在の闇の中での衰弱体なのである。  この作品群は、特権的な主題を持たないが、さりとて無でもない。主題の強度が衰退していく、その残響の世界だ。無数の細部がわずかな生の震動で揺らいでいる。細部は統合されることなく生気づけられており、そのざわめきの反響が空間の陰影を創り出す。(桜井洋・早稲田大学教授)

境界論
擬態考「サークル」 擬態考「水の儀式」
擬態考「サークル」 H170×W400×D400
(紙、木炭、水など) 山梨県立美術館 1999年
擬態考「水の儀式」 H270×W300×D150
(紙、木炭、水など)  ギャラリー檜 2001年
擬態考「水の所在02」 擬態考「水の所在00」 擬態考「光の胎生」
擬態考「水の所在」02
H270×W200×D300B(紙、白砂など)  ギャラリー檜 2002年(インスタレーション)
擬態考「水の所在」00
H300×W270×D300B(紙、白砂など)  山梨県立美術館 2000年(インスタレーション)
擬態考「光の胎生」
H270×W360×D360B(紙、麻、白砂、電球など)  民家の伽羅裡小太郎 2002年(インスタレーション)
生きた皮膚の復権に向けて
 フォークロアの世界では、境界は生と死の境として恐れられてきた。境界は視覚化されたり、また強調されたりして祭祀が行われた。こうした祭祀空間は、〈過剰〉な生を孕んでしまった人間の欲動を、元来の自然体に戻す装置だった。そして、境界こそ空間と空間を結ぶ想像力の皮膚だったのかもしれない。  今日私たちが暮らす社会は、かつて人間の過剰性を吸収していた儀礼空間も、芸術・文化の領域さえも市場経済の中に飲み込まれ、欲望の戯れのみを生み出しているように見える。あらゆるものを消費する今日の資本主義社会は、膨大な矛盾を孕みながらも高度に発達し、現実と空想の世界をなくしてしまうヴァーチャルな世界を生み出してしまった。痛みを感じる生きた皮膚など忘れてしまいそうな現実が目の前に来ている。やがて空気のように希薄になってしまう境界に、果たして私たちは意志の証であるための穴をあけることができるだろうか。  境界はいつの時代のおいても様々なかたちをもって私たちの前に立ち現れる。そして私たちの想像力は、矛盾を抱えながらもそのスリリングな狭間に向けられるべきだ、と私は考えている。  〈生きた皮膚〉を取り戻すこと。〈生きた境界〉を復権させること。内部と外部が呼吸できる多孔質な狭間-----生きた皮膚〈境界〉。この無数の穴から聞こえてくるのは、特権的な声ではない。生の振動に揺らいでいる抑圧された細部のざわめきだ。私はまずそのざわめきを聴き取ることから始めなければならない。    (論考「ハザマ」より)



深沢修プロフィール

深沢山梨県生まれ。造形作家。地場産業である和紙や植物繊維を素材に、独自の造形作品を創る。

〔主な受賞歴〕
1985 読売国際漫画大賞・選考委員特別賞(東京)
1988 現代美術今立紙展・準大賞(福井)
     第3回山梨県新人選抜展・美術館賞(山梨)
1993  今立現代美術紙展・越前和紙賞(福井)
1997 山梨グッドデザインフェア・最優秀知事賞 

〔主な個展・グループ展・その他〕
1989 日仏現代美術展(パリ) ペーパーアートジャパン展(ベルリン・バーゼル・ケルン)
    第2回INO紙のことば展(いの町紙の博物館・高知)
1990 日独紙作家交流展(ベルリン・テンペルホーフ文化局)
1992 日韓現代美術作家交流展 ABCギャラリー(大阪)
1993  都市環境アートフェア(京都リサーチパーク)
1994  「偏在する波動」展 メトロポリタン美術館(マニラ)
1995 個展「生々流転」ABCギャラリー(大阪) 個展「水と蘇生」白根桃源美術館(山梨)
1996  「深沢修和紙の造形」大丸百貨店(東京)
1997 山梨グッドデザインフェア山梨)
1998 山梨の現代作家展 山梨県立美術館(山梨)
1999  「和の紙、韓の紙」展 静岡ギャラリー(静岡)
2000  「紙のエネルギー」展 ポローニャアカデミー(イタリア)
2001  中日友好作家展 湖北美術大学美術館(中国武漢)
2002  「紙の造形展」なかとみ現代工芸美術館(山梨)
    インパクトアート展 京都市美術館(京都)
2003 「アートなオブジェ」展 クリスタルミュージアム(山梨)
その他、個展約50回・グループ展など多数

〔主なイベント・講演など〕
1988  講演「地方文化とベルリンの壁」山梨大学
1991 シュスラーチェロコンサート舞台美術(山梨)
    山梨ワインフェスタ野外オブジェ「活けるまたは水の夢」制作
1993 朝日町街づくりシンポジウムステージセット(愛知)
    山梨看護学校コンサート舞台美術(甲府)
1996  「黒沼ユリ子コンサート」舞台美術 富士レークホテル(山梨)
1991 講演「伝統的素材に現代を創造する」山梨県立美術館
1992 講演「自然と対話するアート」市川アカデミー
2000 インスタレーション「蘇る水」山梨県情報プラザ
    ワークショップ「紙で創る」山梨県立美術館
2002〜 教員美術研修会 山梨県総合教育センター


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